無形民俗文化財「上総十二社祭り
平城天皇の御代・大同二年(807)創始と伝えられるこのお祭りはご祭神玉依姫命とその一族の神々が由縁の釣ヶ崎(つりがさき)海岸で年に一度再会されるという壮大な儀礼です。
房総半島に多い浜降り神事の中でも最古の歴史と伝統を誇り、意義深い古儀を今に伝える貴重なおまつりとして千葉県の無形民俗文化財に指定されています。
九月十日 鵜羽神社(うばじんじゃ)お迎え祭
鵜羽神社のご例祭の後、二基のお神輿(みこし)を玉前神社をお迎えします。
この※1ご神幸(じんこう)は神代(かみよ)より伝わる龍神臨幸(りゅうぐうりんこう)の儀式といわれる古儀です。
(現在は三年に一度となっています) ご本殿に鵜羽神社のお神輿を入れて玉前神社の神様との御霊(みたま)合わせの儀式が行われます。
午後からは上総神楽(かずさかぐら)が奏されるなか、子育てのご神徳にあやかり稚児(ちご)行列に宮参りや神輿くぐり、また※2ご祭神ゆかりの甘酒が振舞われるなど境内は子供たちで賑わいます。
九月十三日 例大祭(れいたいさい)と神幸祭(じんこうさい)
神社本庁より献幣使(けんぺいし)をお迎えし、午後十時からご本殿で例大祭が行われます。
玉前雅楽会による奏楽(そうがく)のなか、おごそかに祭典が進められ、氏子の中学生が巫女となり、心を込めて「浦安の舞」を奉納します。
午後一時からの神幸祭は、「十二社まつり」「上総(かずさ)の裸まつり」とも称され、当社を始め※3由縁の神々を奉じた九基のお神輿を千名余りの裸の男たちがそれぞれ担いで九十九里の大海原を背に渚を踏みつつ疾走し、ご祭神ゆかりの釣ヶ浜祭典場に集うさまは圧巻です。
再会を祝う神事の後、別れを惜しみつつ町を練り午後七時半過ぎには玉前神社にお戻りになられ、待ち受ける大勢の観衆の掛け声と共にご本殿の周りを三周し、感動のクライマックスを迎えます。
≪ 解 説 ≫
※1) ご神幸(ごじんこう)
ご神霊がおみこしなどに乗り、他の場所へお渡りになること。
※2) ご祭神ゆかりの甘酒
鵜茅葺不合命を託された玉依姫命はまだ幼かったため自分の乳の代わりにこの甘酒で子育てをしたという言い伝えによってこの郷では母は“乳がよく出るように”子には“丈夫に育つように”との祈りを込め、この日玉前神社にお参りし甘酒を飲みます。
※3) 由縁の神々
豊玉姫命・日子火火出見命・鵜茅葺不合命など玉依姫命を中心として、その親族の神々十二社のお祭りとして始まっていますが、担ぎ手の問題等で渡御(とぎょ)に参加できなくなった神社、玉前神社までのみ渡御する神社、ご縁があり新しく参加するようになった神社など、時代の移り変わりと共にこのお祭りに参加する神社も少しずつ変化しているようです。